「天地人」
来年、1月4日から放送予定のNHK大河ドラマ「天地人」は
上杉家の陪臣‘直江兼続’の生涯を描くそうだ
キャストの一部を見ても豪華な顔ぶれ
直江 兼続・・・妻夫木 聡さん
石田 三成・・・小栗 旬さん
伊達 政宗・・・松田 龍平さん
小早川 秀秋・・・上地 雄輔さん
淀・・・深田 恭子さん
初音・・・長澤 まさみさん
華姫・・・相武 紗季さん
なんて豪華なラインナップ(笑
もちろん、その他の出演者もビッグネーム揃いで
大河ドラマを最後まで観たことがない私でさえ‘一年間、観てみようかな’と思ってしまう
さて、直江 兼続といえば「愛の前立て」
兜の前面に「愛」の文字
この「愛」とは、いったいどういう意味の「愛」なのだろうか?
現代的な意味の‘愛 = LOVE’?
いやいや、古事記にも日本書紀にも源氏物語にも「愛」という言葉は出てこない
古の昔‘あなたのことが・・・スキダカダーっ
’と、チャン・ドンゴン風に相手へ自分の好意を伝える場合
つまり‘あなたを愛している’という時に使われていた言葉は‘思い’や‘思ふ’だ
‘情があるからあの人とは別れられない’
江戸時代になってやっと‘情’という言葉が出てくる
んーっ、まだまだ「愛」が出てこない![]()
明治時代、二葉亭四迷が翻訳した「片恋(※原題はロシア語)」の中で
女性が主人公に告白するシーンがある
女性が声を震わせながら、主人公に「I LOVE YOU(←ほんとはロシア語)」と告白するシーン
現代なら迷わず「愛しているわ」と訳すのが普通だと思うが(←私なら‘やっちゃってもいいのよ’的な異訳をしたい・笑)
二葉亭四迷は「愛しているわ」→「死んでもいいわ」と訳した
なぜなら、二葉亭四迷の時代「愛している」なんて言ったって
誰もその言葉の意味を知らなかったのだ
まだまだまだまだ「愛」は遠い![]()
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以上のことから考えると、明治以前、元々日本には「愛」という言葉が存在していなかったみたいだし、もちろん‘愛の概念(愛 = LOVE)’も存在していなかったんだと思う
では、「愛」はどこからやってきたのでしょうか?
(
愛は~ど~こから
やって~くるのでしょ~
←LOVE 2000 by hitomi・笑)
「愛」という言葉は中国からの輸入品
愛 = LOVE、そういう概念的な意味づけが成されたのは
おそらくそれはキリスト教が爆発的に日本に広がったドサクサに紛れて定着されたものではないのか?と、私が尊敬する芥川賞作家の花村満月は著書の中で語っていた(「無償の愛」は‘思い・思ふ’そして‘情’では説明できないもんね)
「天地人」の原作者、火坂 雅志氏は、この直江 兼続の前立ての「愛」は仁愛の「愛」だと公言している
なるほど、直江氏は自分の領土に住んでいる民のことをいつも考え
亡くなった時は「その方が米沢のためになるから」と言って
家督を相続させずに土地を主君(上杉 影勝)に返還した人だ
番組関連のHPを見ても、チーフ・プロデューサーが慈愛の「愛」の意味だと言っている
実は、直江氏の前立ての「愛」については諸説あり
今までの解釈としては・・・
直江氏が仕えていた上杉家は謙信が毘沙門天を軍神として信仰していたので(謙信自身が毘沙門天の生まれ変わりと言われていた、それほどツオかった
)
そういった意味合いからも‘愛宕権現信仰説’‘愛染明王信仰説’が有力だ
(ちなみに、インドから中国を経て日本に伝わってくる間に‘愛染明王’は‘愛欲’の神様から‘戦い’の神様に変わってしまった
)
ところで‘なぜ急に大河ドラマの話?’と思われただろうか?
直江 兼続は、私が好きな前田 慶次の終生の友
前述のブログで書いたように、慶次は直江氏に誘われて晩年を米沢の無苦庵で過ごしたのだ
慶次も大河ドラマに出てくるといいなぁ~(NHKさん頼みます
出演させて
笑
「天地人」のキャストを見る限り、これからの日本のショービジネス界を背負っていく若い俳優が目立つ
これは若い視聴者層のNHK離れを防ぐ目的もあるのだろうが
おざなりの‘青春群像劇’にだけはして欲しくないと、せつに願うばかりだ
最後に、たぶんこの話は本編では取り上げない気がするので
私が知っている直江氏の話を少しだけ紹介して、1月4日からの放送を楽しみに待ちたいと思う
ある日、上杉家家中の者が家来を無礼討ちにした
ところが無理のある無礼討ちだったらしく、遺族三人が直江氏に訴え出た
直江氏が取調べてみると、なるほど、この者たちの言う通り、これは遺族の言い分に一理あるので、白銀20枚を遺族に与えて補償した
しかし遺族は納得しない
「本人を生かして返していただきましょう」なんて言う
「無理を申してはならん。死んだ者をどうしようがあるか。かんにんしてやれ」と何度も教え諭したが、強情を張って「返せ」の一点張り
「そうか・・・しからば、その方共、行って取り返してまいれ、わしが閻魔大王殿に添え状をつける」
添え状
しかじかと申す者、あやまって貴地へ送り申し候、迎えのため一族の者三人さしつかわし候間、早速におん返し賜わるべく候。恐惶謹言
慶長二年二月七日
直江山城守兼続
この添え状を袋に入れて、一人の首にかけさせ、三人の首をはねてしまった
残酷な話だと思いますか?
とても現代の価値観では推し量れない話だけれど
当時の時代・社会・関係を考えると、直江氏の‘人となり’を現わしている話だと私は思う







ねこちゃん!!
いくら貰ったんですか!?ww
投稿: 麻木 眠 | 2008年11月23日 (日) 08時50分