「ミカのチャンス・ミーティング」
以下は1975年当時、イギリスで発行された新聞や音楽雑誌に見られた
サディステック・ミカ・バンドの評価
サウンズ/10/18
サディステック・ミカ・バンドの演奏は期待を遥かに上回ったもので、モータウンやジャズに影響を受けたベース、ドラムス、キーボードの連携プレーからは、日本的な、見事に調和のとれた音作りの一面を垣間見ることができた
後藤次利のベースに対し、聴衆は口から泡を吹き絶賛の声を投げかけ
高中正義の素晴らしいボトルネック奏法
今井 裕のキーボードもトップレベルにあり、かなりの評価を得た
ミカはステージで踊ったり、ポラロイド・カメラでの観客のスナップを撮るなど
ステージの中心的人物の役割を演じた
彼らはロキシー・ミュージックの最良のパートナーである
ニュー・ミュージカル・エキスプレス/10/25
華やかなステージで、サディステック・ミカ・バンドは‘黄色いソウル’‘黄色いロック’、そして‘黄色いレゲエ’までも演奏した
ミカの声はほとんど出ていなかった(おそらく発声ができていないのと、東京の公害のせいだろう)が、バックの五人のサムライたちがカバーしていた
柳のようなしなやかさ、鮭のような力強さ
いったい彼らの進撃を止めることができるのだろうか
サウンズ/10/25
高中のスライド・ギターとワウワウ・ミュートの絶妙な演奏
そして、あなたを椅子に釘付けにし、思わず足拍子を踏ませるドラムス
全身白でキメたハンサムでボーイッシュな後藤のグレイトなベース・ライン
彼は本当に上手い
トノバンが歌い始めると、ミカはポラロイドで写真を撮り始める
彼らの演奏を45分も聞けば説得させられてしまう
コマーシャル・ロックの醍醐味を十分味わせてくれた
英国全体において、彼らがいかに認められるかは待つ他にない
新しいものが定着するには、やはり、それなりに時間が必要なのである
ウェリントン・ガーディアン
サディスティック・ミカ・バンドは、戦後日本がアメリカに影響され始めた最初の頃に生まれた世代である
彼らはアメリカの音楽の中で育ち、両親の世代の無難な音楽よりもこれを選んだのである
ミカ・バンドのサウンドは真実のロックである
彼らは日本語で歌う
その歌には何らかのメッセージが含まれているのだろうが、我々英国人にはそれがよくわからない
しかし、彼らのサウンドの質が言葉を理解する必要性を超えてしまうのである
「ミカのチャンス・ミーティング」
福井ミカ・中村俊夫著 1988年5月20日初刷
福井ミカさんの生い立ちから始まり、トノバンとの出会い
ミカ・バンドの結成とクリス・トーマス氏による「黒船」プロデュースの話
ミカ・バンドの英国内での活動詳細、そして解散の話
本の最後では‘女性の人生’などについても書かれていて、とても興味深い本だった
冒頭のミカ・バンドへの評価はこの本から抜粋した
実はこの本、1990年代に古本屋で一度立ち読みをした覚えがある
トノバンが永遠のさよならを皆に告げた後、再度キチンと読みたくなってあちこちの古本屋を探してみたが見つからなかった
もしかして?と思い、図書館へ問い合わせてみると、あった
という次第
トノバンの若い頃の話しも気になっていたし、もちろんミカ・バンドのことも気になった
そして英国内でのミカ・バンドの活躍を知りたいと思う気持ちもさることながら
やはりファンとしては、ミカ・バンド時代の高中氏の様子が気になって仕方ない
P.66にこんな表記がある、本文から抜粋してみよう
(本文はミカさんが口述している雰囲気で書かれている)
「高中はマイ・ペースの人。絶対に自分のスタイルを壊さないの。これは尊敬の一言です。
私たちは高中のことを‘フィー・フィー・ギター’って言ってたのね。
‘フィー、フィー’いって、もう、うるさいから(笑
ステージの上のモニターが聞こえないぐらいうるさいのに、高中は平然として弾いているわけ。
小原なんて怒っちゃって、ステージが終わってから少林寺拳法の空中飛び蹴りで高中を倒したこともありましたよ(笑
まあ、それだけみんな音に対して真剣だったんでしょうね。」
絶対に自分のスタイルを壊さない
今も変わらず、高中氏は自分のスタイルを壊してはいないと私は思う
何も変化していないように思うことほど、実はその時代に合わせて繊細に
そして微妙に変化し続けている
単純に例えると、20年前の服を着たまま現代を過ごしていたら
‘ずいぶん古臭い、変な服を着ているね’と思われるだろう
スタイル = 体型、そう考えたとしたらどうだろう?
時間経過によって体型や体重は変化するもの
加齢とともに極端に太ってしまったとしたら・・・
「昔は痩せていたのに、変わったね」と言われるはずだ
ところがその時代時代に合わせて服の色を替えたり、今の体型や体重を維持し続ける努力を惜しまなければ
「昔からまったく変わっていない(変化していない)」と認識されるものだ
分かりにくい例え話しで・・・何ともはや、(/ω\)オハズカシーィ(笑
変わっていないと思われることは、その時代に、今に合わせて変化しているからそう見える
私の拙い説明ではご理解願えないとは思うが・・・
でもほんのちょっぴりだけ、皆さんにそのニュアンスが伝われば嬉しい
さて、当然、この本には私の知らなかったことがたくさん書いてあった
英国は・・・というより、ヨーロッパはユニオンがしっかりしているとは聞いていたが
1975年においてもイギリスのミュージシャン・ユニオンは自分たちの権利を守っていた
→ 日本国籍を有するミカ・バンドの5人がイギリス20カ所でコンサートを行う場合
その交換条件として5×20=100人分、イギリスのミュージシャンのコンサートを日本でやらなければならない
ミカ・バンド英国ライブについて、イギリスのミュージシャン・ユニオンから出された条件は上記の通りだったようだ
1975年はスージー・クアトロが来日を果たした年
この年を境として、続々とイギリス出身のアーティストの初ライブが日本で行われた気がする
晩秋のフライデーナイト、温かい飲み物を口にしながら「ミカのチャンス・ミーティング」を読みふけていたら
知らぬ間に朝が来ていた・・・
あぁ、読書の秋![]()
蛇足の付け足し
スージー・クアトロ・・・Can The Can
、Devil Gate Drive![]()
中学1年生になった私はマセ始め、あの甲高い声とチャーミングな顔立ち
ベースを弾きながらボーカルも取るスタイルにドキがむねむね
してファンになった
本人が「SAKEロックス、大関」とセリフを言うCMにも出演していて
日本でも人気のあったアーティストだ
1975年、来日時のステージでは演奏中にパンツが投げ込まれ、それにkissして客席に投げ返すスージーは素敵過ぎる(笑
ご参考までに、Devil Gate Drive![]()






















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